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【アラベスク】  第8章 荊の城



第2節 鰯のそらと蝉のかぜ [6]




 数歩先で、里奈も足を止めて振り返る。その姿に、聡は両手を広げた。
「バカ言うな。俺がお前を助けた?」
「え?」
 私、ヘンな事言った?
 キョトンとした里奈の丸くて大きな瞳。なんて幸せな瞳。
 まるで幼い、世間知らずな、弱々しく護ってもらうだけのお嬢様特有の無邪気な瞳。
 こんな女に美鶴が振りまわされていたのかと思うと、今でもその残像に取り憑かれているのかと思うと、それだけで聡は腹が立つ。
「言っとくけどな」
 大仰(おおぎょう)な言い草で前置きをし、
「俺は別にお前を助けた覚えはない」
「え? でも」
「助けた覚えはない。あのままだったら女どもがギャーギャーうるさくなりそうだったから、連れてきただけだ」
 こんな奴に声をかけた俺が悪いんだけどよ。
 うんざりと、頭を掻く。
 だいたい、あんなふうに木の陰にコソコソ隠れて、物欲しそうに涼木の背中に視線送りながら立ってたんだぜ。誰だって気になるだろうよ。っんでさ、そいつが知り合いで、しかもあまりにも意外な人間だったら、思わず声も出しちまうってもんだぜ。
 脳裏に、もう一つの(つぶ)らな、だが里奈よりももっと理知的で力強い瞳が浮かび上がる。
 瑠駆真ならこんな考え無しな行動、しないんだろうな。
 ちっ どうせ俺は能無しだよ。俺だって、厄介事に巻き込まれるってわかってたら、こんな女に声なんかかけねーよ。
「小竹くん?」
 ったく、つまらん事まで思い出しちまったし。
「あの」
 自分を睨みつけたまま黙ってしまった相手に、里奈は上目遣いで声をかける。
「あのぉ」
「とにかく俺は、お前を助けた覚えはない」
 だが里奈には、聡の心内など理解はできない。
 聡の美鶴に対する想いはツバサから聞いて知っているが、だからと言って自分が疎ましがられているとまでは思っていない。自分に対する態度が粗野なのは、単にこの少年の性格がゆえなのだろうと解釈している。
 里奈は学校の成績は良いが、応用力は乏しい。そして視野も狭い。
 思い込み出すと想像力も肥大するが、興味のない物事にはトコトン鈍い。
「でも、美鶴のところに連れてってくれるんでしょ?」
 何の疑いも持たない眼差しにブスッと唇を尖らせ、だが里奈を美鶴のところへまで連れて行こうとしている事に間違いはない。
 聡は否定もできず、だが肯定するのも癪で言葉に窮してしまった。
「これから、駅舎に連れてってくれるんでしょう?」
「それはっ」
「違うの?」
「それは…」
 言いよどみ、少し視線を下げ、やがて改めて相手と向かい合う。
「決着はつけてもらいたいからな」
「決着?」
 唖然と問い返す里奈に、聡は強く頷く。
「美鶴があんなふうになったのは、お前のせいだ」
 お前のせいだ とはっきり言われ、里奈は激しく視線を外す。
 悪いのは自分だ。それはわかっていたつもりだが、こうもはっきり言われると辛い。
 小竹くん―― 金本くんって、だから嫌い。
「お前のせいで、美鶴はやたら捻くれちまった」
 動揺する里奈の態度を気にするでもなく、聡はズバズバと言葉を続ける。
 こういう女は、少し傷ついた方がいいんだ。
「美鶴のために、ここはきっちりと決着をつけてもらう」
「決着?」
「美鶴には、きっぱりとお前を振り切ってもらいたいんだ」
「それって?」
 聡の勢いを受けて震え始める里奈の肩に、侮蔑の視線を投げ
「お前ら、もう会うな」
 聡の言葉に、里奈の身体がガクンと揺れた。







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